特集
没後70年 吉田博
令和2年(2020)に没後70年を迎えた、新版画を代表する画家・吉田博。本格的な洋画からくる確かな描写力と、伝統的な木版技術を融合させた、鋭敏で繊細かつ詩情豊かな作品は国内外で高い評価を得ています。特に色彩表現に対する評価は高く、その微妙な陰影や透明感を表現するため、時には九十六度摺りという驚くべき手間がかけられています。版画家の吉田遠志、吉田穂高は息子。
※吉田博の没後70年を記念して、2021年3月1日(月)から4月3日(土)までの日程で、 吉田博 -ふじを 遠志 穂高 千鶴子 司- 展 を当店ギャラリーで開催致します。
詳細はコチラ→【展覧会のお知らせ】没後70年 吉田博 -ふじを 遠志 穂高 千鶴子 司- 展
”旅情詩人” 川瀬巴水
新版画
草間彌生、奈良美智から次世代まで
創作版画
木版口絵
民藝
大正14年(1925)、それまで重要視されることのなかった、日々の暮らしの中で使われる日用品に美的価値を見出した柳宗悦(1889-1961)が、無名の職人たちによる工芸品を「民藝」(民衆的工芸)という新しい造語で名付けました。その翌年、日本民藝美術館設立趣意書が発表され、河井寛次郎、濱田庄司、富本憲吉らと共に、民藝品の中にある、生活に根ざした健全な美(用の美)を訴える”民藝運動”が展開されていきます。各地にある民藝品の調査、収集を通じ、急速な近代化の流れの中で失われつつあった、伝統的な手仕事の文化や技術の復興・再評価が行われる中で、日本人の生活の豊かさそのものが追求されていきました。昭和6年(1931)雑誌『工藝』が創刊され、昭和9年(1934)に日本民藝協会が発足、そして昭和11年(1936)には日本民藝館が完成し、民藝運動はその規模を拡大していきました。運動の中心的役割を担った柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司、バーナード・リーチ、芹沢銈介、棟方志功、黒田辰秋などの作品や、機関紙『工藝』をはじめとする関連書籍を集めました。
民藝運動機関誌 工藝
“現代の写楽” 弦屋光溪
1978年より22年間に渡り歌舞伎座で役者絵シリーズを手掛けた版画家・弦屋光溪。精緻な技術と大胆な構成の自画・自刻・自摺による木版画は、国内外で高い評価を得ています。役者絵から猫三連作、「アルチンボルドに捧ぐ五題」、最新作「万歳浮世絵派五姿」までの木版画に加え、関連書籍を集めました。
婦人グラフ
大正13年(1924)6月~昭和3年(1928)3月にかけて、国際情報社から刊行された婦人雑誌。富裕層の女性をターゲットに、国内外で流行しているファッションやニュース、華族・名家の夫人や令嬢のグラビア、小説などを掲載、さらに多色摺木版画の挿絵やカラー写真を、一冊ごとに貼り込むという贅沢な作りの雑誌でした。表紙や挿絵を竹久夢二や伊東深水、恩地孝四郎、蕗谷虹児ら当時の人気作家たちが描き、女性たちから圧倒的な支持を得たものの、その贅沢な紙面作りが災いし、創刊からわずか4年7ヶ月後の第55号を最後に廃刊となりました。作家たちの描いた作品や装幀などの芸術性は勿論、当時の時代風俗や流行などを知る資料としても評価されています。
復刻版浮世絵 / Reprinted Ukiyo-e
オリジナルの浮世絵を元に描かれた版下絵から彫師が版木を彫り、その版木(主版・色版)を使って摺師が和紙に色を摺り重ねて完成させる、江戸時代から続く伝統的な技法で制作されている木版画。機械印刷とは全く異なる、手摺木版ならではの美しい色彩と風合いを持つ完成された美術作品です。
異国から来た絵師たち / Ukiyoe artist from abroad
明治末に来日したエミール・オルリク、バーサ・ラムらが日本の伝統的な技法で木版画を制作し、大正期に版元渡邊庄三郎がフリッツ・カペラリ、エリザベス・キースらを起用して新版画を制作するなどした、異国人絵師たちの描いた錦絵風の作品群が存在します。彼らの描いた、無国籍でありながらも伝統的な錦絵の風情が感じられる、不思議な魅力を持った作品は、国内外で高い評価を得ています。主な作家にヘレン・ハイド、リリアン・ミラー、チャールズ・バートレット、ノエル・ヌエット、ポール・ジャクレーなど。
双六(すごろく) / Sugoroku
すごろく(雙六、双六)は、奈良時代以前には既に渡来していたボードゲームの一種です。元々は盤の駒を対座する相手陣内へ入れる盤双六(バックギャモン)の事を指しましたが、江戸時代に仏法双六や浄土双六から発展した絵双六が流行し、双六と言えば、ほぼ絵双六の事を指すようになりました。浮世絵版画の発達とも歩調を合わせた絵双六は、名だたる絵師が手がけ、画題も多岐に渡る事から、絵画的・資料的価値が高く評価されています。江戸・明治期の木版画を中心に、児童雑誌の付録などに使われた近代の画家による双六も合わせてご覧ください。
泥絵(どろえ)
泥絵(別名:胡粉画)は、精製度の低い顔料と胡粉を混ぜた絵具(泥絵具)で描かれた不透明で重い質感からその名が付き、宝暦~天保年間(1751-1844)頃まで上方と江戸を中心に盛行しました。日本画や錦絵と異なり、洋風の構図や主題の作品が多く見られるのは、その重い質感が西洋の油絵具に見たてられているためです。一般的に泥絵は、単に泥絵具を用いた洋風構図の風景画と、舶来の覗き眼鏡を通して楽しむ眼鏡絵またはその流れを汲むもの、という二様の解釈がなされており、円山応挙が元祖の上方系の泥絵は左描きで、様々な仕掛けを施した眼鏡絵の色彩が濃いのに対して、司馬江漢が元祖の江戸系は覗き眼鏡自体の数が少なかったこともあってか、徐々に右描きの普通の風景画となっていきました。土産物として人気のあった江戸系の泥絵では、大名邸を画題としているものが多く見られます。
木口木版
太平記英勇伝
東海道五十三対
日本万歳 百撰百笑
明治期を代表する浮世絵師・小林清親が、日清戦争・日露戦争を題材に、百戦百勝にかけて描いた、戦争諷刺画の連作「日本万歳 百撰百笑」(1894-1904)。
相撲絵 / sumo
古来より神事として、競技または娯楽として日本人に親しまれてきた“相撲”は、江戸時代の浮世絵でも「相撲絵」として、人気力士の取組みや着物姿などが数多く描かれました。現在も木下大門画により、江戸時代と同じ手法で「大相撲錦絵」が制作され、人気を博しています。
夢二の楽譜 / Yumeji's Song Sheet
美人画の名手であると同時に、モダンなセンスを持つデザイナーでもあった竹久夢二が表紙画を手掛けた楽譜を、17年間にわたって描いた代表作「セノオ楽譜」(セノオ音楽出版)を中心に。