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浮世絵

芳年 Yoshitoshi

芳年

天保10年<1839> - 明治25年<1892>
江戸期からの伝統的浮世絵に西洋の写実主義を加味し、詩情豊かな明治浮世絵を描いた最後の浮世絵師。本名は米次郎。姓は吉岡、後に月岡。画号は一魁斎、玉黄楼、大蘇など。嘉永3年(1850)に歌川国芳に入門し、「芳年」の名を与えられ、15歳の時に処女作「文治元年平家の一門亡海中落入る図」を制作。万延元年(1860)より本格的な画業を開始して以降は、豊原国周落合芳幾と共に“浮世絵三傑”と呼ばれ、明治十年代には浮世絵師人気番付の第1位となり、多数の門弟を擁しました。国芳ゆずりの歴史絵や稗史画をはじめ、役者絵、文明開化思想を反映した美人画、逸話や故事、伝承を題材にした幻想的かつ静謐さが漂う美しい画面で幽霊・妖怪の類を描いてみせたものなど、熟達した画技と狂気さえ感じさせる豊かなイマジネーションにより生み出された作品は、時代を超えた高い芸術性を有しています。代表作は、画業初期に描かれた血みどろ絵「英名二十八衆句」や、永井荷風が称賛した美人画「風俗三十二相」、幻想的な美しさの「新形三十六怪撰」、「月百姿」など。師である国芳の居住地(現在の日本橋人形町周辺)から玄冶店派と言われた画風を継承し、それが弟子の水野年方鏑木清方伊東深水へと受け継がれていきました。

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