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特集

“現代の写楽” 弦屋光溪

1978年より22年間に渡り歌舞伎座で役者絵シリーズを手掛けた版画家・弦屋光溪。精緻な技術と大胆な構成の自画・自刻・自摺による木版画は、国内外で高い評価を得ています。歌舞伎座時代の役者絵から、「猫の歌舞伎」、「アルチンボルドに捧ぐ五題」、「万歳浮世絵派五姿」、最新作「万歳浮世絵派三艶」シリーズまでの木版画作品に加え、関連書籍などを合わせてご覧ください。
弦屋光溪公式ページ https://www.tsuruya-koukei.com

近代風景画の巨匠 吉田博

令和2年(2020)に没後70年を迎えた、新版画を代表する画家・吉田博。本格的な洋画からくる確かな描写力と、伝統的な木版技術を融合させた、鋭敏で繊細かつ詩情豊かな作品は国内外で高い評価を得ています。特に色彩表現に対する評価は高く、その微妙な陰影や透明感を表現するため、時には九十六度摺りという驚くべき手間がかけられています。また、妻のふじを、長男の吉田遠志吉田穂高とその妻・千鶴子、長女の亜世美らが揃って芸術家であるため”吉田ファミリー”としても知られています。

”旅情詩人” 川瀬巴水

渡邊庄三郎が展開した新版画運動を、伊東深水らと共に牽引した川瀬巴水。日本の美しい風景を、叙情豊かに表現した作風から、”旅情詩人”、”旅の版画家”、”昭和の広重”などと呼ばれ、国際的にも浮世絵師・葛飾北斎歌川広重らと並ぶ人気を誇る、日本を代表する版画家です。

最後の浮世絵師 月岡芳年

江戸期の伝統的浮世絵に西洋の写実主義を加味し、詩情豊かな明治浮世絵を描いてみせたのが“最後の浮世絵師”と呼ばれる絵師、月岡芳年です。熟達した画技と、師である歌川国芳にも劣らない、豊かなイマジネーションにより生み出された作品は、時代を超えた高い芸術性を有しています。

新版画

海外では高い芸術的評価を受けながらも、国内では衰退し顧みられる事もなくなっていた浮世絵版画の状況を憂いた浮世絵商・渡邊庄三郎が、自ら版元となって伝統木版画の復興と近代化を目指した大正新版画運動を展開。絵師・彫師・摺師の分業により、各々の技量が最大限に発揮された、精緻で美麗な完成度の高い作品を数多く生み出していきました。主な作家に伊東深水川瀬巴水高橋松亭橋口五葉吉田博などがいます。

創作版画

明治末期、単なる複製手段となりつつあった伝統的な木版画の状況に危機感を募らせていた山本鼎らが中心となり、自画・自刻・自摺を骨子とする創造的な版画制作を呼びかける“創作版画運動”が起こります。それは明治40年に創刊された版画誌「方寸」や「月映」を端緒に、大正から昭和初期にかけて大きく花開き、現在の日本版画協会に至る近代日本版画隆盛の礎となりました。主な作家に恩地孝四郎平塚運一川上澄生谷中安規棟方志功藤牧義夫などがいます。

草間彌生、奈良美智から次世代まで

既に国際的な評価を不動のものとしている現代の巨匠・岡本太郎草間彌生奈良美智村上隆横尾忠則らから、国内外のアートフェア等で注目を集める新進気鋭のアーティストまで、最先端の芸術として近年さらなるムーブメントを起こしている現代アートの世界をお楽しみください。

木版口絵

口絵とは、本のはじめに入れられる彩色画で、フロンティスピース(扉絵)とも呼ばれます。木版、銅版、コロタイプなど様々な技法のものがありますが、特に美術的評価が高いのが、錦絵の技術を受け継ぎ、明治時代に入って書かれた小説本などに入れられた木版口絵(多色摺)です。江戸時代までの絵草子に慣れ親しんでいた大衆にとって、文字だけの近代文学は敷居の高いものでしたが、小説の登場人物が描かれた口絵は読解の助けとなり、近代文学普及に大きな役割を果たしました。主な作家は、鏑木清方尾形月耕梶田半古武内桂舟など。

民藝

大正14年(1925)、それまで重要視されることのなかった、日々の暮らしの中で使われる日用品に美的価値を見出した柳宗悦(1889-1961)が、無名の職人たちによる工芸品を「民藝」(民衆的工芸)という新しい造語で名付けました。その翌年、日本民藝美術館設立趣意書が発表され、河井寛次郎、濱田庄司、富本憲吉らと共に、民藝品の中にある、生活に根ざした健全な美(用の美)を訴える”民藝運動”が展開されていきます。各地にある民藝品の調査、収集を通じ、急速な近代化の流れの中で失われつつあった、伝統的な手仕事の文化や技術の復興・再評価が行われる中で、日本人の生活の豊かさそのものが追求されていきました。昭和6年(1931)雑誌『工藝』が創刊され、昭和9年(1934)に日本民藝協会が発足、そして昭和11年(1936)には日本民藝館が完成し、民藝運動はその規模を拡大していきました。運動の中心的役割を担った柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司、バーナード・リーチ芹沢銈介棟方志功黒田辰秋などの作品や、機関紙『工藝』をはじめとする関連書籍を集めました。

民藝運動機関誌 工藝

『工藝』は、柳宗悦により昭和6年(1931)に聚楽社から発刊され、後に日本民藝協会に変わり、昭和26年(1951)の終刊120号まで続きました。その美しさから本自体が工芸品と言われる装丁の多くは、芹沢銈介の図案を手織り布や漆絵等で飾ったもので、他に棟方志功の版画で装丁されたものなどもあります。本文は様々な和紙を用い、柳宗悦をはじめ河井寛次郎富本憲吉、濱田庄司らが執筆し、”暮らしの美”を啓発する民藝運動の機関紙として重要な役割を果たしました。

復刻版浮世絵

オリジナルの浮世絵を元に描かれた版下絵から彫師が版木を彫り、その版木(主版・色版)を使って摺師が和紙に色を摺り重ねて完成させる、江戸時代から続く伝統的な技法で制作されている木版画。機械印刷とは全く異なる、手摺木版ならではの美しい色彩と風合いを持つ完成された美術作品です。

婦人グラフ

大正13年(1924)6月~昭和3年(1928)3月にかけて、国際情報社から刊行された婦人雑誌。富裕層の女性をターゲットに、国内外で流行しているファッションやニュース、華族・名家の夫人や令嬢のグラビア、小説などを掲載、さらに多色摺木版画の挿絵やカラー写真を、一冊ごとに貼り込むという贅沢な作りの雑誌でした。表紙や挿絵を竹久夢二伊東深水恩地孝四郎、蕗谷虹児ら当時の人気作家たちが描き、女性たちから圧倒的な支持を得たものの、その贅沢な紙面作りが災いし、創刊からわずか4年7ヶ月後の第55号を最後に廃刊となりました。作家たちの描いた作品や装幀などの芸術性は勿論、当時の時代風俗や流行などを知る資料としても評価されています。

異国から来た絵師たち / Ukiyoe artist from abroad

明治末に来日したエミール・オルリク、バーサ・ラムらが日本の伝統的な技法で木版画を制作し、大正期に版元渡邊庄三郎がフリッツ・カペラリ、エリザベス・キースらを起用して新版画を制作するなどした、異国人絵師たちの描いた錦絵風の作品群が存在します。彼らの描いた、無国籍でありながらも伝統的な錦絵の風情が感じられる、不思議な魅力を持った作品は、国内外で高い評価を得ています。主な作家にヘレン・ハイド、リリアン・ミラー、チャールズ・バートレットノエル・ヌエットポール・ジャクレーなど。

蔵書票(エクス・リブリス)

Ex Libris(エクス・リブリス)とは「誰それの蔵書から」という意味のラテン語で、書籍の見返しなどに貼られる所有者を示す小さな紙片の事です。ヨーロッパでは古くから多くの芸術家が手がけており、オディロン・ルドン最後の版画もエクス・リブリスでした。日本でも1922年に日本書票協会が設立される等して親しまれ、美術品として広く収集されています。

双六(すごろく)

すごろく(雙六、双六)は、奈良時代以前には既に渡来していたボードゲームの一種です。元々は盤の駒を対座する相手陣内へ入れる盤双六(バックギャモン)の事を指しましたが、江戸時代に仏法双六や浄土双六から発展した絵双六が流行し、双六と言えば、ほぼ絵双六の事を指すようになりました。浮世絵版画の発達とも歩調を合わせた絵双六は、名だたる絵師が手がけ、画題も多岐に渡る事から、絵画的・資料的価値が高く評価されています。江戸・明治期の木版画を中心に、児童雑誌の付録などに使われた近代の画家による双六も合わせてご覧ください。

泥絵(どろえ)

泥絵(別名:胡粉画)は、精製度の低い顔料と胡粉を混ぜた絵具(泥絵具)で描かれた不透明で重い質感からその名が付き、宝暦~天保年間(1751-1844)頃まで上方と江戸を中心に盛行しました。日本画や錦絵と異なり、洋風の構図や主題の作品が多く見られるのは、その重い質感が西洋の油絵具に見たてられているためです。一般的に泥絵は、単に泥絵具を用いた洋風構図の風景画と、舶来の覗き眼鏡を通して楽しむ眼鏡絵またはその流れを汲むもの、という二様の解釈がなされており、円山応挙が元祖の上方系の泥絵は左描きで、様々な仕掛けを施した眼鏡絵の色彩が濃いのに対して、司馬江漢が元祖の江戸系は覗き眼鏡自体の数が少なかったこともあってか、徐々に右描きの普通の風景画となっていきました。土産物として人気のあった江戸系の泥絵では、大名邸を画題としているものが多く見られます。

東海道五十三対

全55枚の大判揃物(※6点異版の確認有)。天保14年(弘化元年/1844)から弘化4年(1847)にかけて制作されたとされ、当時人気の歌川派の絵師3名(三代歌川豊国初代歌川広重歌川国芳)による合作。他の東海道シリーズとは異なり、風景ではなく、その土地・地名に縁のある人物や説話などを題材にしている。また、説明文や狂歌が書かれている詞書用の枠の形を版元によって変えるなどの趣向も伺うことができる。三代豊国は主に美人画で8点、初代広重は主に歴史・美人画で17点、国芳が最も多く武者・美人画で30点を描いている。

相撲絵

古来より神事として、競技または娯楽として日本人に親しまれてきた“相撲”は、江戸時代の浮世絵でも「相撲絵」として、人気力士の取組みや着物姿などが数多く描かれました。現在も木下大門画により、江戸時代と同じ手法で「大相撲錦絵」が制作され、人気を博しています。

木口木版

18世紀末に英国人のトーマス・ビューイックが創始したとされるヨーロッパが主流の木版技法で、”西洋木版”とも言われます。桜などの広葉樹の木材を立ち木の状態で縦挽きにしたものを彫刻刀で彫る板目木版とは異なり、黄楊や椿のような均質な密度の硬い木を横から輪切りにしたものの木口を、銅版画にも用いられるビュランやノミで彫るため、銅版画に匹敵する精密・繊細な表現が特徴です。主な作家にギュスターヴ・ドレ、オノレ・ドーミエ、柄澤齊日和崎尊夫涌田利之など。

東海名所改正道中記

明治8年(1875)に三代歌川広重が手掛けた全60枚からなる東海道のシリーズ。日本橋から京都まで東海道の宿場風景に電信柱や洋装、洋傘などの西洋文化が描かれたものも多くあり、文明開化の様子がうかがえます。

豆本

「豆本」とは、文字通り掌に収まる程度の小さな本の総称です。西洋では16世紀頃に流行し、聖書や物語の豆本が盛んに作成されました。日本では江戸時代後期から。婦女子の娯楽用として作られ始め、お雛様の段飾りの中にある小さな絵本「雛本(ひいなぼん)」や、袖に入れて持ち運べる「袖珍本(しゅうちんぼん)」、「芥子本(けしぼん)」、「巾箱本(きんそうぼん)」など様々な名称の豆本が作られました。豆本の大きさについては、様々な定義がありますが、本の長辺が3インチ(76mm)以内のものを指すことが多いようです。日本では江戸時代に美濃半紙を八つ切したサイズ(約14×10cm)以下を指し、明治以降は一辺が10センチ以下のものが一般的でした。尚、一辺が1cm以下のものは欧米に合わせて「マイクロブック」と呼ばれています。日本で豆本が大きく注目されたのは、昭和28年(1953)に北海道の愛書家たちによって作られた『ゑぞまめほん』がきっかけとなり起こった空前の豆本ブームです。全国各地で豆本が刊行され、一般流通される書籍とは異なる、豆本専門の出版社が趣向を凝らした、美しくユニークな本が多く作られました。

日本大観

中澤弘光のスケッチを全50枚の豪華木版画集として、金尾文淵堂から大正11年(1922)に出版されました。関東大震災前の日本の風景が描かれ、与謝野鉄幹、晶子の巻頭歌、三宅克己石井柏亭よる序文が付されています。

夢二の楽譜 / Yumeji's Song Sheet

美人画の名手であると同時に、モダンなセンスを持つデザイナーでもあった竹久夢二が表紙画を手掛けた楽譜を、17年間にわたって描いた代表作「セノオ楽譜」(セノオ音楽出版)を中心に。

井上安治(探景) 「東京真画名所図解」

26歳の若さでこの世を去った夭折の浮世絵師・井上安治(探景)の全134点からなる小判錦絵のシリーズ。明治14年(1881)頃から、安治の亡くなる明治22年(1889)と、その短い作画期を通して描かれた代表作で、刊行当時は、明治になり全国から上京してきた人々から、文明開化東京を伝えるものとして人気を集めました。元々は師である小林清親の”光線画”を継ぐ形で出されたもので、100点を越える東京風景を短期間で仕上げる必要性からか、清親の構図と同じ、もしくはそれに倣ったものが半数近く見られます。しっとりと情緒的な清親に対して、安治の作はより写実的で、西洋絵画の影響が強く見られます。

大正震災画集

関東大震災の直後に作られた木版画作品集。
柴田耕洋、野口紅涯、近藤紫雲井川洗厓、高島雲峰、浜田如洗、片山春帆、八幡白帆、桐谷洗鱗によって描かれた全25図から成り、大正15年に絵巻研究会より刊行。震災とその影響について、時間と場所の状況が捉えられる構成になっている。