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美術作品

岡本太郎 Okamoto Taro

岡本太郎

明治44年<1911>-平成8年<1996> 神奈川県出身
“芸術は爆発だ!”の言で知られ、戦後の日本を代表する前衛芸術の巨人。岡本一平(漫画家)と岡本かの子(小説家)の長男。1929年に東京美術学校を半年で退学した後に、両親の渡欧に同行し、翌年よりパリで一人暮らしを始めました。1932年、ピカソの抽象作品に感動し、アプストラクシオン・クレアシオン協会会員(1937年退会)に。ジャン・アルプやワシリー・カンディンスキーらの抽象芸術運動に参加し、翌年のシュール・アンデパンダン展に「空間」を出品。1936年ネオ・コンクレティスムを提唱、超現実主義に接近。翌年「傷ましき腕」をシュール・アンデパンダン展に発表したのを機に純粋抽象と訣別し、アンドレ・ブルトン、マックス・エルンストらと交友を深めていきました。1940年に帰国し、翌年応召。終戦後の1946年、自らの芸術理念として“対極主義”を提唱し、動と静、悲しみとユーモア、現実と非現実といった対立する両極のものを融和させるのではなく、対置させることにより生まれる不協和音の中に新しい芸術の可能性を見出しました。1948年、文学者・花田清輝らと「夜の会」を結成し、総合的な芸術運動を先導しながら、若い世代に向けた啓蒙活動も積極的に展開。1952年、東京国立博物館に展示されていた縄文土器の芸術性の高さに衝撃を受けたのをきっかけに、沖縄・東北の文化や密教美術等に代表される伝統美術の再評価に努めました。1954年に既成芸術への痛烈な批判を展開した著書「今日の芸術 時代を創造するものは誰か」がベストセラーになる等、新時代の芸術をリードする牽引役として活躍し続けました。
1959年 東京都庁舎の壁画で国際建築絵画大賞受賞。
1961年 著書『忘れられた日本』で毎日出版文化賞受賞。
1964年 東京オリンピックの参加メダルをデザイン。
1970年 大阪万博で「太陽の塔」を制作。
1981年 「芸術は爆発だ!」が流行語大賞・語録賞受賞。
1984年 フランス政府より国家功労勲章勲四等受章。
1985年 こどもの城(東京都渋谷区)のシンボルモニュメント「こどもの樹」を制作。
1989年 フランス芸術文化勲章受章。
2011年 「生誕100年岡本太郎展」(東京国立近代美術館)。

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